不登校娘(ASD)との日常

日常をたらたら書く

2021.4 春

通信制の学校へ転入し、今日はスクーリング初日。

自分で行くよ、過保護かよ、、と言われながらも学校へ送り届けた。

娘のためと言うより、私のため。

そう、見届けたかった。

学校へ入る娘を。

どんな表情で、何を思いながら学校の敷地へ入るのか見届けたかったんだ。

 

一年前の娘とは違う、大人びた表情。

現実を見据えた表情。

再び学校へ行けなくなってからの約半年。

彼女が何を思いながら日々を過ごしていたのか私には分からない。

けど、また歩き出そうとしている。

自分で歩き出そうと行動に移している。

それが私には嬉しい。

 

送り届ける車中で娘が言った。

スクーリング時に提出するレポートで久し振り勉強したら半年前を思い出した。

使ってない脳が動き出した感じ。

懐かしかった。いい刺激になったよ。

 

それ聞きながら、あー、この子は学ぶことが好きなんだなって。

不登校になってからずっと勉強だけは続けてきた。

不登校だけど勉強はしてる、と言う自分を支えに生活してた気がする。

それを初めて辞めた半年前。

人生も諦めたように見えた。

せっかく入学した学校もまた行けなくなった。

塾も行けなくなった。

あんなに沢山の人が応援してくれたのに。

何をやってをダメな自分。

勉強もせず、昼夜逆転の日々を送りながら娘はいろんな意味で放棄した。人生を。これから先の事を。

 

2度目の不登校にもなるともう分かる。

何を言っても響かないこと。

待つしかないこと。

本人が動き出すのを待つしかない。

 

どうにかなるかぁ、と言う気持ちではなく、この子は大丈夫。自分で動き出す日が必ず来る、と言う思いがあった。

信じて待つ。これに尽きる。

不登校対応。これしかない。

 

そんなこんなで、スクーリング初日を迎えた娘は、『学校やばいww青い髪の毛の子いた。母ちゃんと同い年くらいのおばちゃんもいたwすごいな。色んな人生あるな』と面白がってた。

お前も十分面白い人生歩んでるけどな。

 

卒業出来るといいね。

 

ブログ名変えなくて良かったね⭐︎

今年の春から念願だった女子高生になった娘。5年間の不登校を取り戻すかのように無遅刻無欠席、成績も学年3位、オール5、と言う快挙を遂げていた。

学校楽しい!あの学校に入学出来て良かった!と満面の笑顔で制服を身に纏い、颯爽と自転車で駅へ向かう娘を毎朝見えなくなるまで見送った。

大学進学のために塾へ通い、将来の夢を実現するために話を聞きに行ったり、調べたり、活発に動く娘を見て、こんなにも人って変わるんだ…何が起きてんだ……と驚いた。

 

そんな日々を送りながら、このブログを開く度に不登校じゃなくなったなぁ、ブログ名変えるかぁ、けどなぁ、、

 

何か引っかかる。何かが、、

通学するようになってから何となくこんな日が来ると頭の片隅にあったのです。

 

そうです。

不登校娘との日常』復活です。

 

けどまあ、想定内ですよ。

ブログ名変えなかったんだから。

いつかこんな日が来るとお母さん思ってた。ごめんな。

信用してなかった訳じゃない。

学校楽しめるといいな、とは思ってたけどあのテンションとモチベーションを継続するだけの体力とメンタル、どうかな?危険だな、とずっと思ってた。

 

今の高校を受験する時、義務教育と違って学校行かないと単位取れないからね、卒業出来ないからね。

もし学校行けなくなったら今までのようにはいかないよ?行けなくなったら直ぐにシフト変更するから。だから頑張れる所まで頑張りな。

私と娘との約束。

 

そんな約束を前提に入学した学校だから私的にはそれほどショックでもなく、なるようになったな、て感じなんだけども。

 

当の本人はまぁ、しばらく落ち込んでた。

せっかく入学した学校。同じような境遇の子たちとの学校生活。念願だった女子高生になれた自分。そんな普通の女子高生になれた自分を手放すのには勇気がいる。

 

娘の学校へ戻りたい、みんなと一緒に学校生活を送りたい、卒業したい、と言う希望をどうにか叶えてあげたい、と学校へ相談し、先生方からの提案や色んな策を考えた。

けどまあ考えても動くのは本人だしね。

策を講じても本人に動く気配がない。

はて、どうしたものか…。

 

と思いながら時間だけが過ぎていった。

 

が、ここで娘の気持ちも変化して来た。

 

無理じゃね?学校。

ちょっと無理し過ぎた。

夢見過ぎた。学校というものに。

学校行けば普通になれると思った。

普通の学生になれると思った。

楽しかったけどね。

楽しかったけど、私にはちょっと無理だ。

しんどいわ。

理想と現実。

体験してみて学んだね⭐︎⭐︎⭐︎

 

学んだね⭐︎⭐︎⭐︎じゃねえよ!

と返したものの内心ほっとした。

吹っ切れてくれて良かった。

また何年も塞ぎ込む生活が続くのかとヒヤヒヤしてた。

 

とは言え、大学は行きたいんでしょ?

通信制高校に転入するかぁ。

どうする娘?

仕切り直して来年春から行く?

え?なんて?

お前も少しは考えろよ!

お前の人生だろが!!

なにゲームしてんだよ!!!

って言ったら

『あんまり危機感ないんだよね(テヘッ)』

って返ってきて、ちゃんとして!!!

みたいな感じだったんだけど、まあ、いいか。

 

絶望して数年前のように死にたい、言われるより全然いいよ。

 

仕切り直して来年春から頑張れ。

と思ってたけど最近学ぶこと飽きちゃった系ですか?なるほどなるほど、、、

 

と思ってる所へタイミング良く面談があった。いつもは娘さんの意思が大事ですから、彼女を尊重して…と穏やかに話す担任が珍しく強め言う。

 

『高校は絶対行った方が良い。やる事ないなら尚更。彼女には絶対高校、大学と進学して欲しい。それだけの能力がありますから。そのあと社会貢献しろ!……この言葉、そのまま娘さんに伝えてください』

 

『社会貢献しろ!』

しろ?しろつった??

命令した、うける。

 

ちょっと面白かった。

社会貢献の意味はきっと、娘が福祉系の大学に進みたいと担任に相談してたからだと思うんだけど、覚えててくれたんだね。

 

帰宅後、言われたように担任の言葉をそのまま娘に伝える。

進学しろだってよ。他も色々言ってたけど…聞く?結構な熱さだったけど。

 

学校行かずになにをするんですか。学校も行かず働きもせず、なにを!するんですか?!!!

 

あとね、進学しないのは本当にもったいないって。あなたの事褒めてたよ。学ぶ事が好きだし、探究心もある。それを生かさないのは本当にもったいない。絶対進学して学んで欲しいって。

 

娘は笑ったり、しんみりしたり、何やら考え込みながら話を聞いてた。

 

つう事で、担任からの伝言は以上です!

と締め括ると娘が言った。

 

『高校行くか』

 

まじかよ。

ずっと同じような事私が話して来たのに担任の言葉だとすんなり受け入れるのかよ。

 

 

けどもうね、私に出来ることは数少ないと思ってんだ。本人がこれから先人生をどう楽しむか。楽しむ必要はないんだけど、どう生きていくか、は本人が考えることだと思うし。私はそれを見守るしかない。

 

なんかね、絶望とか諦めとか、これから先どうしようとか、そう言う負の感情が不思議とないんだよね。

なんだろね。

達観してるっつうか。なるようにしかならないっつうかね。

 

 

私は不登校ではなかったし、娘の気持ちを全て理解してあげることは出来ない。

けど、全然違う生き方してきた私が、お母さんになると思ってなかった私が、今、こんな生き方してるのを子供の頃の私は想像してなかったと思うのよ。

何があるか分からないのが人生だと思うんだ。

 

数年後、十数年後、娘自身があんな頃もあったね、と笑える日が来ると思う。

そうやってみんな生きてる気がする。

あんな頃もあったねって。

 

今年も色々あった。

あり過ぎてあっという間に終わった。

 

来年はどんな一年になるかな。

娘に振り回されるんだろうけど、どうなって行くのか楽しみだね。

あと、娘にとって実りある一年になると良いな。

2020.3 卒業と合格のはなし。

記録として。

義務教育終了しどうにか高校に合格した。不登校になってからの5年ちょい。本当に長かった。色んな事があった。

しんど過ぎて私がドロップアウトしそうになった時期もあった。けどまぁ、最終的に良い経験だったな、と思う。思えるようになった。

不登校になってからもずっと見守ってくれた人達と、出会った全ての人達に感謝だね。一人一人に菓子折り持ってお礼に行きたいくらい。と言う娘。

ほんとだねぇ、本当に。感謝しかない。色んな人に助けて貰った。

そう思うと人は誰かに支えて貰って生きてるんだな、と実感する。ちょっとした会話や何気ない生活の中で救われる事がたくさんある。

Twitterもその一つ。

Twitterの方たちにもたくさん救われた。

娘を小さい頃から知ってる方たちや、同じ境遇の方たちに出会えて不登校の親という孤独から解放された。1人じゃないんだなって。同じ事思いながら生活してるお母さん達がいる、と言う安心感。これは本当に支えになった。

 

これから先どうなるか分からないけど、今は娘の一歩を讃えたい。

数年前、引きこもって死にたいと言っていた娘が学校へ行きたい、青春を取り戻す!と笑って言えるようになった一歩は大きいから。

私お母さんになったんだな、と今更思った話。

こんなはずじゃなかったと自分の人生を嘆いた所で今更仕方ないし、その都度自分が選択して来た道のりを否定したくないから余り過去を振り返らないようにしてる。

確かにあの時違う選択をしてたら、と思う事はある。あるけどまあ、どのみち同じような人生歩んでたと思うんだよね。違う道のりで到着する場所っていうの?場所は同じなんだよね。きっとね。

そんな私の人生観の話ではなくて。

こないだ事故った時。

死ぬのかな、と漠然と思った時。

良く走馬灯のように色んな事が駆け巡ってまだやり残した事があるとか、あの時あーしとけば良かったとか、後悔の念?みたいな話聞くし、助かった暁には一度きりの人生やりたい事やるぞ!と人生観変わるみたいなやつ聞くじゃん。

私ね、全くなくて。自分の人生に後悔する事ないんだなって。

ただ、あの時一つだけ思った。今ここで死んだら、娘置いて先に死んだら死んでも死に切れねえな!て横転する車の中で思ったんだ。

いやなんか私お母さんなんだなぁって。娘の事しか考えなかった私お母さんになったんだなぁって。

今更だし当たり前の感覚なのかも知れないけどね、私に取っては凄く不思議な感覚と言うか、衝撃だったのよ。ホントに今更なんだけど。

 

未だに私はお母さんになり切れてなくて、お母さんと言う肩書きで生きる人生を認めたくなくて、娘のお母さんではあるけど誰かのお母さんとして生きるのは何か違う。私にも個がある。お母さんだけど私は私。私は私の人生を、と娘と切り離して考えてた。

けど違うんだな。切り離す事ないんだな。

私の人生には娘がいて、娘がいるのが私の人生。

なんか良く分からんけども。

 

娘が生まれなかったら多分私は遠の昔に死んでた気がする。生に対してそれ程執着してなかったしいつ死んでも良いなぁ、なんて思いながら生きてた。長生きしたくねえなって。

それが今は娘の為に死ぬわけには行かねえ!と思いながら生きてんだからお母さんになったんだな、自分。すごいな自分。いや凄い事なんだよ、私にとってはさ。

 

今年のうちに記録として残しておきたかったんだ。お母さんになり切れてなかった私が、やっとお母さんになれた気がした年だったから。

 

不死身かよ…と言われた話。

3日前、わりと酷い事故に遭ったんですけどね。

あーこれ完全に死ぬやつだわ…と思う事故に遭うと時間が止まる。止まるね。完全に。横転する車の中であれこれ考えた。

 

なんだこの状況。さっきガッて車浮いたやん?溝にはまって浮いた?あ!パンクしたんか!

いやいやいや…パンクしてこんなに転がらないでしょ…つうかめっちゃガラス割れるやんけ。ガラス…しゅごい……おっと、今屋根潰れた……えっ?は??今あり得ない所にフェンス見えたんですけどぉぉぉぉぉぉぉーーーこれってもしかして死ぬんじゃない?そうか、死ぬのか!!!

 

とガラスの割れる音と車のボディが潰れる音をバックグラウンドにあれこれ考えてたんですけど突然思い出したんですよ。

娘!!!!!

娘置いて死ぬわけにはいかねえ!!!

俺は!生きる!!!!!

海賊王になる!!!!!!!

 

まぁ海賊王になりたいとは思わなかったけど死ぬわけにはいかねえ!と思った瞬間ハンドルを強く握りしめました。

シートベルトでしっかりホールドされてる身体は大丈夫だ。足踏ん張って、手をハンドルから離さなければ固定される。どこもぶつけない。よし。これでいける。手離したら死ぬぞ!!

と思い直し車止まるまで踏ん張った。

で、止まったわけですよ。やったね☆☆☆

 

やったね☆☆☆じゃねえよ!

車逆さじゃねえか!!!!

ジェットコースターの逆さ吊りだよ!!

いやもう、なんだこれ…どうすんだよ…

とりあえず考えよう。脱出方法を考えよう。と何故かテレビドラマの脱出シーンを思い出す。普段FBIとかCIAが登場する海外ドラマ見てる俺をなめんなよ。華麗に脱出しちゃうぞっつって思い出したのが室井さん。

 

………あのぉ、室井さん?

事件は現場で起きてるけど会議室で考えてもらえます?

 

 

助けて。

 

 

そうだ電話!!警察自ら呼んじゃうぞ♡つって身につけてたバッグからゴソゴソ携帯を取り出す。

横着してバッグ身につけといて良かった〜さすがワタシ!天才!と会社のガラケーパカっと開いてよし!110!!と押そうとした瞬間手から滑り落ちる携帯。

まじすか…。

 

想像してみて。

緊急停止したジェットコースターの逆さ吊りから助けを呼ぼうと携帯取り出して、これで助かるぅ〜ヒャッホー♡と思った途端その希望と共に落下する携帯を見つめる絶望感。

もうだめだ、助け呼べねえ。

と逆さ吊りでうな垂れてたら来たよ!誰か来てくれたよ!大丈夫ですか?!!!と逆さになった車を恐る恐る覗き込む人影。

 

明らかに怖がってる。

え、なんで生きてんの?みたいな顔してる。

 

だろうね、私も思ったよ。

なんで生きてんの?

 

救出されるまでドアも開かず逆さ吊りのまま暇だったから助けに来てくれた方達に聞いてみた。

あの、これなにが起きたんですか?全く状況理解してないんですけど私の単独事故ですか?

 

違うよ!ぶつけられたのよ!

 

ほほーん、なるほど、納得。

逆さ吊りのまま納得。

 

その後救出されるまでに何とか携帯回収出来たから上司に「今車ん中で救出待ちでーす」と電話し、旦那に「今近所でサイレン鳴ってんじゃん?それ、私救出する為のやつ」と電話し、無事に救出され救急搬送されたんですけどね、あんな酷い事故に遭ったのに本当にどこも痛くないの?写真見たけど車凄かったですね、逆になぜ無傷、、奇跡か、不死身かよ、、と言われなんかごめんな!無傷でごめんな!!と思うなどしたけど今現在完全にむち打ちです。

 

車の運転気を付けようね。

気を付けてても弾き飛ばされたらアウトだけどね。

あとね、今回思ったのはシートベルトの凄さ。シートベルトなかったら確実に死んでた。後部座席の人も必ずした方が良いよ。あれ生死の分かれ目だ。

たまに後部座席に小さなお子さんそのまま乗せてる方見かけるけど絶対シートベルトして。嫌がっても死なせたくなかったら絶対に。

 

あとは死ぬわけにはいかねえ!という強い意志で生き延びられる。多分。知らんけども。

(今回はたまたま運が良かっただけです)

高校受験のはなし。

不登校になってから諦めてた高校受験。

内申のない娘には夢のまた夢の話。

出席日数も授業日数も、学校内での評価が存在しない娘には公立の受験資格がない。

変な話よね。受験くらいさせてくれよって話よね。

と、今更そんな事言っても仕方のない話で完全に諦めてた。

私立に関しては受験は出来るだろうけど当日の試験次第。本気の実力勝負って話だったからこれもまたね、なかなか難しいよね。

自宅で塾のプリント3教科独学でこなしてるとは言え、今現在の実力がどの程度なのかサッパリ分からないし。

そんな事より問題は、仮に受験して合格したとしよう。果たして通学出来るのか?と言う一番の壁が立ちはだかる。

 

私個人的には現実的な進路を考えていた。通信制の学校行って高卒資格さえ取れば何とかなる。塾や予備校行って本気で勉強すればその先の大学受験も可能だろう。

それが一番手堅い選択だと思ってた。

 

が、そう思ってた所へ突然娘の希望、夢が出来てしまった。しまった、と言っちゃだめやつだね。

 

『普通の学校生活を送ってみたい。授業も受けてみたい。』

 

なんと、めちゃくちゃ素晴らしい夢じゃない。そう思う事だけでも素晴らしいじゃない。

なら受験だけでも出来る学校探してみよう。その夢叶えようじゃないの、と言う私の謎の闘争心がですね…

 

私じゃなくても親なら皆思うはず。

不合格かも知れない、通学出来ないかも知れない。けどその夢を叶える手段があるなら可能性がある限り動こうじゃないの。親として出来る事があるならやろうじゃないの。

 

そんな訳で探し始めたんですけどね。

壁が高い高い。

先ずは公立。

『長期欠席者等にかかる選抜方法』?

どうも長期欠席の子供でも受験資格はあるようだ。手続きして審査して、なんか難しい事クリアすれば受験は可能、と言う教育委員会のサイトにたどり着いた。

 

取り敢えず学校に聞いてみた。

返事は確かにそのような制度?システムがあるそう。

がしかし、長期欠席の理由によると。

例えば長期間入院していたとか、イジメによって学校へ行けなかったとか。

重大な理由っつうのかな。

高校側がその理由ならオッケーてなれば受験が出来るらしい。多分。受験だったかな、面接だったかな、よく理解してないけど多分受験は出来るっぽい。

おー!と思ったけど、その後に続く先生の残念そうな顔。

問題は◯ちゃんの欠席理由が審査に通るかどうか。重大な理由が前例になってるんで変な話ただの不登校、となると難しいかも知れません。向こうサイドがどう捉えるかなんで…

でもでも、もし受験したい気持ちがあれば学校側は協力します、書類でも何でも書きますから!勉強も放課後とかに教えます!と言ってくれた担任、好き。

現実的に考えて無理っぽい気がしないでもないけど、そう言ってくれるだけでもね、嬉しいよね。

次は私立。これはもう実力主義。入試当日の結果次第なんだけど、その前にそんな生徒を受け入れてくれる学校を探さなきゃならない。

不登校枠で受け入れ可能な学校もあるけど、その学校へ娘が行きたいかどうか本人の希望もあるし、贅沢な事も言ってられないけど色々探し中です。

 

と、ここまで公立私立の事書いたけど、両方とも『学びたい。合格した暁には通学します!』と言う強い意志を見せなければならない。

 

けどさ。

学びたい意思も通学したい意思も多分他の子より強いと思うんだけどさ、、

ぶっちゃけ通学出来るかどうかなんて分からなくない?学校行きたいと思いながらも行こうとすると体が硬直して、フリーズして、勝手に涙出てきてメンタル壊れて不登校になったんだからさ…

 

なんかよく分からないけど、行けるかどうか分からない不安定な子供たちにも門戸を広げて欲しいな、可能性だけでも夢見させてくれよ、と思っちゃうね。

 

長々と書いちゃったけど、こんな事誰にも言えないしね。こんな内容の話理解出来る人いないし、話したところでなんの解決にもならないし自分の頭ん中整理するために書いたってわけよ。

 

受験可能な学校探すのと並行して、現実的な学校も探し中。通信制ならとりあえず高卒資格は取れそうだし、何を選択するかは娘本人に任せる。選択肢揃えてあとは本人任せよ、うはははは、はぁ……

 

長い長い。話も長いし道のりも長い。

今週のお題「おとうさん」

今週のお題「おとうさん」

おとうさんか。

 

そう言えば今日は父の日だね。

私に父の話をさせたらめちゃくちゃ長くなるけど良いのか。良いな。

 

Twitterでもたまに父の話をするけど、私はとにかく父が大好きだ。

父がいなかったら今の私は存在しない。と言っても過言ではない程父親大好き人間です。

母の代わりに父が全力で愛情を注いでくれた。

母はなんだろな、母親というより『女』と言う認識だったから。

 

亭主関白タイプだけど情に厚く優しく、誰かの為に身を削って全力で助けようとするタイプ。男前。めちゃくちゃ男前。

かと言って前面に俺様を主張する訳でもなくなんつうのかな、男前なんだよ(しつこい)

 

そんな父との思い出は腐るほどあるが、その中でも私の心の支えになっている思い出がある。

しんどい時、辛い時、夜空見上げて思い出す。

 

あの頃、父と2人で良く夜空眺めてた。

 

星きれいだね

今流れてったあれ人工衛星

うっそ、どれどれ?

 

まだ帰れないよね?

そうだな、まだ暴れてるかもな

………

今日はもう車の中で寝るか

 

家はあるのに家に帰れない生活。

アル中の叔父が暴れるたびに父と2人車に飛び乗り、近くの公園へ避難する。

当時はそんな生活だった。

 

もう遠い昔の事だから記憶も定かじゃないし、地獄のような生活を記憶から消し去りたい本能が働きうろ覚えだけど、昔を思い出す度に父と2人で見上げた夜空がよみがえる。

 

公園の静寂と、頭上に広がる満点の星空。

ただただ時間だけが流れ、他愛もない会話をする父と2人だけの時間。

 

しんどい時や行き詰まった時、1人で夜空を見上げ父と見上げた夜空を重ねる。

そうする事で不思議と安心した気持ちになるんだ。まだまだ大丈夫。頑張れると思える。

 

私が赤子の頃から結婚するまで、結婚してからも父は唯一の味方だった。

とにかく肯定してくれる。

私が無茶な事しても、無謀な事しても、とにかく肯定してくれる唯一の存在。

そんな味方してくれる父がいたからこそ私は自由に生きてこれたのかもしれない。

 

今遠く離れて暮らす父に言いたい言葉はなんだろう、とふと考えてみたけどこれしか思い付かない。

たくさんの愛をありがとう。

そして、心から愛してる。